スメラルドの花言葉

防弾少年団に転がりついたアラサー。

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年が明けた。
コロナの影響で実家には帰省せず、東京で過ごすお正月になった。お正月休みに家族と会わないのは初めてかもしれない。ほんのりと寂しい気持ちを抱えながらも、ほとんど家族ぐらい会っている近所の友人とレーベルコンを観て年越し蕎麦を食べて、楽しく新年を迎えた。


幼い頃から母は、毎年おせち料理を作り続けていた。実は父も私も弟もあまりおせち料理が好きな方ではないがそれでも「季節のものだから」と、嫌がられても作るぞと冗談めかして言っていたのを覚えている。冬至に、ふとスーパーで目に入った柚子をお風呂に入れたとき、好きではないかぼちゃを買ってみたとき、そして大晦日に年越し蕎麦をすすったとき、あのときの母の言葉を思い出した。


2017年のRMさんの日記の中に以下の言葉がある。

だからいつも、お元気でいらしてください。これからも一緒にたくさんのお話を分け合いながら。時間は本当に早く過ぎていきますが、毎年やってくる「あけましておめでとう」の言葉を冷たく笑わない自分自身になれたらと思います。


何度かTwitterでも引用したけれど私はこの言葉が本当に好きで、生きながら何度も反芻している。


好きだったものや楽しかったものを含め、世の中のものを冷たい目で見るのはとても簡単だ。回避型の私にとって「無関心」でいることは、傷つかず苦しまない最善の状態であるとも言える。

 

反対に好きでいるということや楽しむことは意外にも難しい。先日、曲のリリースを楽しみにしていたとき「たった5分程度の音じゃないか」と囁く私がいた。たった5分程度の音。それを楽しむためにはまず「知る」という関心、「聞こう」とする気持ち、冷たい囁きに負けず「楽しもう」とする時間や心、たくさん用意するものがあるのだと気づく。 

 

RMさんが以前VLIVEで言っていたように

幸せな人、幸せを知る人、幸せを感じる心構えができている人はそうして幸せなものを見続ける

そういう心構えが、楽しむためにも好きでいるためにも必要なのだ。


コロナの状況下で、私はおよそ10ヶ月の在宅勤務をしている。会社に行くのは月に1度ほどで、誰とも喋らない日の方が多い。他人や街や外部の空気から受動的に味わうものが減った結果こうして能動的に取り入れていくことの大切さをよく考えるようになった。


関心を寄せようとすること
楽しもうとすること
祝おうとすること
愛そうとすること
そして、
そんな自分をなんだか良いなと思いながら

目一杯味わうこと


それが私が2021年、心に留めおきたいことだ。
気持ちひとつ視点ひとつで一瞬で灰色になりうる世界を暖かく、なんだか良いなの状態で過ごせるように。


あけましておめでとうの言葉を今年も穏やかに言えたことに心から感謝しながら。


今年もどうぞよろしくお願いします。


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