スメラルドの花言葉

防弾少年団に転がりついたアラサー。

Bird

今回の秋元康氏とのコラボレーション中止について、思うことは思ったときに書いておこうと思ったのでブログを開いてみました。騒動のまとめではなく、私個人が感じた話です。ながいです。

そもそも私は防弾少年団のことをすごく近いけど別の世界の読みもののように思っているので、決定を覆そうとか、納得いかないとか、私の意見でどうこうしてほしい!という強い要求はありません。彼らの世界でそうなったのなら、そうなんだろう。起きた出来事に対しての公式の決断を支持し、その上で自分が何を感じるか、そこが重要なのだと思っています。

この感じ方はもしかしたら特殊であるかもしれないし、彼らをもっと近い距離で支えているファンからすると当事者意識のないファンだと思われるのかもしれません。ただ私は、あくまでそういう読みものとして彼らと接するのが丁度よくて好きなのです。


そんな中で今回の事件を見て、実際に一番に感じたのは恐怖でした。
公式ペンカフェではフィードバックの要求が1分間に80件以上書き込まれていました。TwitterのTLも公式のリプライ欄にも同じ言葉と画像が貼り付けられ、韓国のトレンドにも関連ワードがあがっていました。

私はとにかく怖かったんです。
つい前の瞬間までは愛に溢れていた応援の場が、一気にフィードバック要求で埋め尽くされた瞬間。事件やスキャンダルで一夜にしてファンを失うアイドルもいますよね。
そんな「終わり」が来たのかと、本気で思いました。一瞬で海が砂漠になったのかと。

韓国語や英語が少しは読める分、フィードバック要求に並ぶ過激なワードにも恐怖を感じました。秋元氏が右翼的な立場であるという話から「戦犯国家」「戦争美化」「日本に受けた被害」などのワードまで発展し、旧国旗の切り裂きgifや戦時中の写真までカフェに貼られて私は心底落ち込みました。そこを過激に掘り下げることが重要なのか?と。しかし各国の教育の違いと文化・国民性の違いの前に、べき論はあまり意味をなしませんし攻撃的な人もいればそうでない人もいるのは当然です。

ただ私が、日本人としてそのフィードバック要求文を載せ私もこう思う!と言うことは難しかったです。翻訳してほしいというリプライも頂きましたが、とても私にはできませんでした。歴史の否定や反対意見ではなく、シンプルに日本人の立場としては気軽には意見できない問題だったのです。(女性蔑視問題だけであれば、ほぼ同意でしたが。)事務所の反応がない分、ファンの言動や行動が過激化していたのも事実です。故に黙って時間が過ぎるのを待ちました。

bighitからの公示があり「ファンたちの憂慮は十分に認知している」「少し待っていて欲しい」という話があって私は安堵しました。本国アミの中には「そんな言葉では騙されない、フィードバック要求の勢いがなくなる!」と火力をあげようとしていた人もいましたが、「対話」のために落ち着いて少し待ってみようとするファンもいました。

そして結果的に、秋元康氏が詞を提供した日本オリジナル曲「Bird」は収録中止となりました。やはりこの決断に対してどうこうしようという気持ちはありません。彼らが、事務所が選んだ最善の道がそれならば私は読み手としてそれを受け入れるのです。

その上で、どう考えることができるのか。


私は社会人として、同じ…というのは甚だおこがましいですがバンPDと同じような立場にあります。プロジェクトチームを抱えながら最近、一番重要に思うのは「最終的にどうなりたいか」という部分です。チームのメンバーは性別、国籍、職種もバラバラでそもそも生きてきた環境も立場も違うので、基本は意見が合致しません。
そこでそれぞれが自分だけの常識や知識をぶつけ合って説得しようとする行為はほぼ平行線を辿り、失敗します。

意見を聞きながら、目先の不満や過激な言葉に惑わされず最終的にどうなりたいかのビジョンをみんなで浮かべること。そのビジョンに至るまでに必要なものを残し、不要な部分を省く作業が必要だと思っています。

私はツイートでも言った通り、韓国人として韓国の社会問題に取り組み、韓国語で歌って世界で評価されている防弾少年団が好きです。韓国人の彼らが等身大で語る言葉を通じて韓国の一部を知り、文化を知る。それが面白くて好きなのです。

つまり私が防弾少年団に対して、最終的にどうなってほしいかと考えるならやはり韓国のアーティストとして、母国での人気を確立したまま世界で、日本で活躍して欲しい。


そういう意味で今回の問題は、あまりに母国のファンからの反発が大きかったと思います。それを一部と見るか大多数と見るかは個人の感覚ですが、私の肌感ではこれまでにない程の騒動だったと思います。普段ファンの揉め事にはあまり関与しない大人ARMYたちも今回は声をあげているのをみました。

過激な言葉や画像に心惑わされながらも感じたのは、とにかく日本が好きとか嫌いとか、曲を聞きたいとか聞きたくないとかではなく、ただようやく得た防弾少年団の韓国国内での評価を失うわけにはいかなかったのだと。彼らがまた社会からの冷たい視線に晒されることがないようにという部分を強く感じました。ここに来るまで5年かかったと泣いていたユンギを思い出したし、どん底から這い上がってきたストーリー、女性蔑視問題で歌詞を変更したり謝罪したりしたことも思い出しました。
その点で私は、本国アミたちの焦りと不安が分かる気がしたのです。冷笑と無視の砂漠で必死に一歩ずつ歩いてきた物語を知っているからこそ。多少過保護にも思えますが私にとっては十分に理解できる感情でした。

今回コラボレーションは実現しなかったので、結果がどうなっていたかはわかりません。心配するようなことはなかったのかもしれません。ただ、もし。もし本国ペンたちの恐れていた通りに彼らがまた女性蔑視や傾いた思想のイメージを少しでも植えつけられたら。私は現実的な問題として、コカコーラやPUMA、LG、国民銀行など彼らが信頼され、世界的および韓国社会的に問題のないグループだと今認められているからこそ任せられた広告モデルの仕事は無くなっていたかもしれないと思います。
それぐらいの影響力が、予測されたことだったのではないかと。

世界は今確実に、変わりつつあります。Me too運動もそうですが、これまでは社会の構造的に隠れていた差別やマイノリティの苦しみに世界が気づき始めています。
そして彼らは人一倍、その問題にも敏感に対応してきたグループです。アメリカでのN-wordの件や、同性愛についての言及、韓国のコンサートでも女性蔑視問題からBitchをセッキに変えて歌ったりと。マイノリティや被差別者への配慮、そして母国を背負う者として母国への配慮を常に忘れません。

私個人的には、そこまでやる必要があるのか?と思ったこともありますが、彼らは対応することを選んだ。それが全てだと思いますし、私はそんな彼らが好きです。

今回の件で彼らが秋元氏の右翼的立場・女性蔑視の歌詞を書いたことがある人間だと認識していたかどうかは分かりません。しかしファン達の反発によって彼らが問題を認識した上で収録曲から外したのであれば、それが彼らのひとつの結論だと思います。
(やや過激なフェミの一部からホルモン戦争の「女は最高の贈り物」という歌詞も、女性を物扱いしていると叩かれてるのを何度か見ましたが彼らはそこは対応していませんし、言われたからとりあえず直す、ということはしていないと思います。)


収録してくれた日本語曲を聞きたかった気持ちは、もちろん無いわけではありません。レコーディングの時間も練習もあったでしょう。それにやっぱり右翼的立場の人間と組むことの恐れを「いかに日本から被害を受けたか」の方向で掘り下げるのもどうかと思います。全ての人間は違う環境で違う考えで生きてきたことを忘れ、異なる意見の相手を罵る行為も暴力的な言葉に恐怖を感じることもつらかった。本質とは全く別のところで「韓国が大事なのか」「反日なのか」という議論になっていることも怖かったです。(日本が嫌いだから歌わない、なんて言ったことはないしこれまでも日本オリジナル曲は問題なくリリースされてますよね。)そもそも親日的なだけで国内での評価が下がるという社会の仕組みがどうなんだ、という話もあると思います。


こんな風に同意できる部分、できない部分、理解できる部分とできない部分はもちろんありながらも私はやはり静かにこの問題について考えた時、社会的な問題に取り組む韓国人アイドルとして世界で活躍するBTSをもう少し見ていたいという立場と、ファンとして過保護にその花道を守りたいという立場、そして会社が・彼らが感じて出した結論であるならそれを受け止めるのみという気持ちでBirdが収録されないことを理解し、変わらずにこの先を見守っていきたいと思います。

問題の捉え方は人それぞれですが、私はこの件はどちらかが「勝った」「負けた」という勝負ではなく、防弾少年団のこれからと今を考えたことで起こった事件であり、出されたひとつの結論だと思っています。攻撃的な言葉に胸は痛みますがそれだけに惑わされず、ナムジュンがいつも言うように、ひとつの物事の暗い部分にだけ捉われず、全ての物事の両面を見て穏やかに考える人になりたいと思います。それが私が彼らから学んだことであり、防弾少年団を好きな理由なのです。