スメラルドの花言葉

防弾少年団に転がりついたアラサー。

180128[単独インタビュー]防弾少年団「成功の秘訣はSNSではなく本気+実力」①

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―MIC Dropの歌詞にあるSwagにだれもが頷くでしょう。歌詞のとおりに「トロフィーで鞄がいっぱい」な年になりましたね。

 

J-HOPE:

振り返ってみると、僕自身も誇らしいと思えるほどにたくさんの成果を出せた一年でした。成果の源はファンの方達が頑張れるように力強く応援してくれたおかげです。 

JK:

授賞式でもアメリカのエレンのトークショーでも、震えた記憶はありません。ファンたちを信じていたから。そのとき「歌手という職業を選んだ僕の道は正しい選択だった」と感じました。

JIN:

うーむ、去年はさらに格好良くなったみたいです。これ何年か言い続けてるのでファンたちは理解してくれると思います。はは。ファンたちとのコミュニケーションをよくとった一年でした。コンテンツが多様化し、さまざまな方面でコミュニケーションをとり、ファンたちと共に(成果を)つくりあげました。

 

--さまざまな業界で防弾少年団の成功の秘訣と経済的な価値を分析し、政治界ではそのコミュニケーション方法を学ぼうとするレポートまで出ました。洗練された音楽、青春と交感する同時代的メッセージ、「カル群舞」、親しみのあるSNSコミュニケーションなど、さまざまな要素が集約されているけど、メンバーたちが考えるポイントはなんですか?

 

RM:

この質問を数え切れないほど受け、僕が代表として200回以上答えたかと思います。回答をしながら徐々に整理されていくのですが、これが最新バージョンです。バンシヒョクPDの選球眼に心からの賛辞を送ります。僕らがヒップホップクルーとしてスタートしましたが、バンPDは社会に必要な話をする仲間が必要だと考えられました。僕たちは実際、そういうことを具現化できるラッパーだったし、パフォーマンスの実力を備えたメンバーもいました。防弾少年団の大きなキーワードで見れば成功の秘訣は「本気+実力」だと思います。「本気」は大衆の目にすべて見えます。しかし人々は、SNSでコミュニケーションをよくとっていることにだけ注目します。もっと重要なことは、僕らが歌手であって音楽とパフォーマンスのクオリティが無条件に良くなければならないという点です。それを備えた状態で、僕らが伝えたい本気とメッセージ、僕たちが着実にしてきたコミュニケーション頻度が合わさってその全てをバンPDが選球眼をもって押し出してくれました。自由をくれて、僕らも「プレイヤー」として「ハイリスク」を背負いながら「ハイリターン」をしました。会社と僕らのボールが半々で、企画社とアーティストがビジネスパートナーとして協業関係を結んでいくという側面では、望ましいモデルだと思います。

 

SUGA:

僕も気になってたくさん考えてみました。一つの言葉で表現するには難しく、誰かがしなければいけないことだけれど誰もしてこなかった話、僕はそこから出発したと思います。最近、年初でソワソワとして「昔はどうやって音楽を作ってた?」と振り返ってみると、最初からバンPDはそうでした。小さな作業室に座って「お前はどんな話をしたいんだ?このビートのテーマを考えてみるんだ。」と。僕らはその時「好み(趣向)を尊重しろ」「なぜ学校や社会に対して話をする人がいないのか」から始めたようです。一番残念な点は、僕らを分析する際にSNSでだけ成功したとされることです。少し前にファンミーティング社会をみるキム・センミン先輩がPodcastで僕たちに対し「良く出来るのに、一生懸命やるから勝つことができない」と賞賛してくださいました。それを聞いて「本当に俺たちがやってきたことを感じてくださっているんだな」と思いました。この点を知っていただくまでに5年がかかったと、じんと来ました。

 

--昨年はまるで「記録製造機」でした。もっとも象徴的なことはビルボードでの成績とアルバム販売量でしたが、感動的に迫ってきた数値は。

 

RM:

MIC Dropミックスビルボードのメインシングルチャートである「HOT100」の28位に初めて進出したときです。幼いころから見てきた「HOT100」に僕らの名前があることが衝撃的でした。通常アメリカでは「HOT100」のトップ40に入るのが全国的ヒットと言われますが30位以内に入ったことが素晴らしかったです。 

J-HOPE:

僕はアルバムの販売量がぐっと響きました。僕らが制作した音楽がこめられたアルバムが大きな数値で販売されたという点に感動がありました。

SUGA:

正直数値や記録にこだわりはしません。去年は本当にたくさんのことがありましたが、僕はAMAの舞台がもっとも記憶に残りました。幼いころTVで授賞式を中継しなかったのでインターネットで探して見て育ちました。出演も感激なのに、功労賞を受賞されたダイアナロスの直前にステージで公演をするということが本当に信じられない状態でした。

 

--特にアメリカでの反応は熱かったですね。現地のファンたちがラジオステーションに楽曲を申請するキャンペーンをおこない、ビルボードのランキングにパワーを与え、今もMIC DropはHOT100に8週連続、LY承Herのアルバムはビルボード200に15週間侵入し、人気が衰えることを知りません。現地のファンたちはどんな部分で情熱的な反応を見せましたか。

 

SUGA:

僕らを愛してくれる方式や表現は韓国もアメリカのファンたちもそう大きくは変わりません。あえて挙げるなら、そこのファンたちは僕ら同士でいる姿が好きでした。何をやるにも一緒にいたのが特異ケースに見えたようだ。

  RM:

似た脈絡ですが、結果的にファンたちもファンである以前にコンテンツを消費する大衆です。その方々が「コアなファン」になるのは、目には見えない差異を区別しているからだと思います。パフォーマンス、ビハインドなどの動画コンテンツで感じる僕たちのケミストリーと本気、音楽とクオリティの高いパフォーマンスが結合すると、それより強力な武器はないように思います。その点が言語の壁を越えてラジオに僕たちの歌を申請する起爆剤になったと思います。

 
―アメリカ3大トークショーに出演しましたが、ビハインドエピソードはありますか?

 V:

一番記憶に残っているのは「あなたたちのファンはどうしてこんなに情熱的なのか」「どうやってこんな素敵なファンたちを得たのか」という質問でした。(なんと返事をしたのかと聞くと)英語がじょうずなRMが全部返事をしてくれました(笑)

 RM:

当初3社のトークショー全て、ステージだけちょっとする予定でしたが、製作陣が現場にきたファンたちのテチャン(※一緒に歌うこと)と反応を見て、その場でゲームとトークなど、 MCと共にするコーナーを追加しました。エレンとのトークも無かったのですが、エレンが僕らのファンたちを見て「だめだ、何でもいいからもっとやろう」として作ってくださいました。それはファンたちの力です。

JIN:

僕らが一言ずつなにか言おうと通訳のヒョンから格好いい単語と文章を教えてもらって覚えたのですが、質問をよく理解できず、返事もきちんとできませんでした。Vがきっと出てくる確率が高いと予想される質問を一晩中準備していたのですが、できなくて可愛かったです。

 V:

(返事を書き留めてある携帯のメモを探して見せ)ステージに関して予想される質問と回答をすべて覚えておいたのですが、エレンが質問をしませんでした。通訳のヒョンはかならず「この質問をする可能性が高い」と言ってたんですが…(笑)

 

―2013年のデビュー時から少年と青年の夢と現実を直視し、SUGAのミックステープの「the last」という曲でもアイドルスターを夢見ていた時代の現実との乖離感、憂鬱感と強迫観念などの本音を打ち明けました。練習生時代を振り返ったとき、不安のエネルギーをどのように克服し、今この夢のどこまできたと思いますか。

 

SUGA:

不安感と孤独は一生共にあるようです。それをどのような方式で解いていくかに大きな意味がありますが一生勉強しなければいけないと思います。状況と瞬間ごとに感情は大きく異なって、毎瞬間悩むことが人生だと思います。だからこの記事を通して多くの人々に「俺はまだ不安だし、あなたもまたそうだから、一緒に探して学んでいこう」と言いたいです。僕は夢が無かったことがありませんでした。その夢を全部成し遂げてきました。練習生のときは歌手としてデビューし、音楽をするのが夢だったし、デビュー後は1位を獲ること、1位を獲ったなら大賞を獲り、日本とアメリカへ進出すること。正直ビルボードやAMAまでは想像もできなかった遠い話でしたが、成し遂げました。今は以前よりも明確な夢に向かって走る感覚はありませんが、最近になって考えが変わったことは人間としての価値と幸せも重要で、それに到達するにはまだ遠かったということです。歌手としてたくさんのことを成し遂げましたが、昨年一年はターニングポイントになる時期だったと思います。僕はまだ26歳でしかなくて、デビュー前から数えると音楽を10年以上やってきましたが、これからもっと長くやっていくことだからです。本当によく考える年初です。

 

RM:人間は両価的な感情を同時に考えるようにプログラミングされているようです。その点が人間を万物の霊長に、他の世界を支配するようにした原動力だと言います。愛しながら別れを考え、成功を感じるときには墜落と失敗を同時に考えることが我々の遺伝子の中にあります。SUGAヒョンの脈絡と似ていますが(不安は)影のようです。もう少しだけ僕のケースでお話しすると、父が25年間の会社生活で耳鳴りを発症しました。仕事に集中したり、好きな仕事をしているときは症状には出ませんがストレスを受けていたり、絶望的な状況に直面したとき生活に支障が出るほどに辛かったと仰いました。誰かにとって耳鳴りとしてあらわれる不安は影のようで、僕の身長が伸びればさらに大きくなり、夜になればさらに長くなることもあります。だから、心の中にある反対側の両価的感情を克服するとは言えず、ただ人間は誰しも必然的な孤独や暗闇を持っていかなければいけないため、避難所が必要だと思います。昔、僕には唯一のものが音楽であり、運よくそれを選択して良い仲間達に出会い、職業的・経済的に成就しました。だから僕は不安感とむしろ友人となれるよう、避難所をいくつか作り出しました。フィギュア収集をすること、好きな服を買うこと、知らない土地に行って人々がどのように生きているか見ること、バスに乗って知らない土地で降りて歩いてみれば僕がこの世界から遠く離れてはいないのだと、距離を縮めるきっかけになります。そうして不安が分散されるんです。

 

--それでも経験を溶かしこんだ歌詞を見ると、この5年間つらい時間が多かったと思いますが。

JIN:

僕はそういう瞬間を回避するタイプで、ゲームをしながら別の人生を生きてみようとします。ゲームをすれば全く違う性格の自分として生きてみることになります。最近、ゲームをまた始めたのですが10年前にゲームをしていたときに出会った友達と偶然会いました。もちろん実際に会ったことはなく、IDでだけ知っているサイバー友達です。だけどなんだか嬉しかったんです。幼い頃の思い出がよみがえり、楽しかったです。

JIMIN:

どうしても今が一番寂しくて疲れる時期だと思います。僕らはいつも幸せであるとお話ししてきましたが、何かつらい瞬間が訪れたときに理解してくれる人々、友達、家族がひとりもいないという考えに至ったときに寂しいんです。少し前にしたことですが、僕らの歌をもう一度聞いて、僕たちがライブをした動画を探して見ると心が少し落ち着きました。