スメラルドの花言葉

防弾少年団に転がりついたアラサー。

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年が明けた。
コロナの影響で実家には帰省せず、東京で過ごすお正月になった。お正月休みに家族と会わないのは初めてかもしれない。ほんのりと寂しい気持ちを抱えながらも、ほとんど家族ぐらい会っている近所の友人とレーベルコンを観て年越し蕎麦を食べて、楽しく新年を迎えた。


幼い頃から母は、毎年おせち料理を作り続けていた。実は父も私も弟もあまりおせち料理が好きな方ではないがそれでも「季節のものだから」と、嫌がられても作るぞと冗談めかして言っていたのを覚えている。冬至に、ふとスーパーで目に入った柚子をお風呂に入れたとき、好きではないかぼちゃを買ってみたとき、そして大晦日に年越し蕎麦をすすったとき、あのときの母の言葉を思い出した。


2017年のRMさんの日記の中に以下の言葉がある。

だからいつも、お元気でいらしてください。これからも一緒にたくさんのお話を分け合いながら。時間は本当に早く過ぎていきますが、毎年やってくる「あけましておめでとう」の言葉を冷たく笑わない自分自身になれたらと思います。


何度かTwitterでも引用したけれど私はこの言葉が本当に好きで、生きながら何度も反芻している。


好きだったものや楽しかったものを含め、世の中のものを冷たい目で見るのはとても簡単だ。回避型の私にとって「無関心」でいることは、傷つかず苦しまない最善の状態であるとも言える。

 

反対に好きでいるということや楽しむことは意外にも難しい。先日、曲のリリースを楽しみにしていたとき「たった5分程度の音じゃないか」と囁く私がいた。たった5分程度の音。それを楽しむためにはまず「知る」という関心、「聞こう」とする気持ち、冷たい囁きに負けず「楽しもう」とする時間や心、たくさん用意するものがあるのだと気づく。 

 

RMさんが以前VLIVEで言っていたように

幸せな人、幸せを知る人、幸せを感じる心構えができている人はそうして幸せなものを見続ける

そういう心構えが、楽しむためにも好きでいるためにも必要なのだ。


コロナの状況下で、私はおよそ10ヶ月の在宅勤務をしている。会社に行くのは月に1度ほどで、誰とも喋らない日の方が多い。他人や街や外部の空気から受動的に味わうものが減った結果こうして能動的に取り入れていくことの大切さをよく考えるようになった。


関心を寄せようとすること
楽しもうとすること
祝おうとすること
愛そうとすること
そして、
そんな自分をなんだか良いなと思いながら

目一杯味わうこと


それが私が2021年、心に留めおきたいことだ。
気持ちひとつ視点ひとつで一瞬で灰色になりうる世界を暖かく、なんだか良いなの状態で過ごせるように。


あけましておめでとうの言葉を今年も穏やかに言えたことに心から感謝しながら。


今年もどうぞよろしくお願いします。


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自己肯定感と回避の魔物

自己肯定感が高い、低いは優劣ではないと思っている。


自己肯定感が高いと、基本として自分を愛しているから自責するような痛みは少ない。
でもそこにも薄い地獄がある。


こうして私はずっと、このぐらいの自分のまま年を重ねて、その未来が孤独でも惨めでも、なんとなしに満足して生きて終わるんだろうという地獄。


たまに、自分の自己肯定感の本当の正体は「回避の魔物」じゃないかと疑うこともある。できない自分を認めるということは、果たして「逃げ」とどう違うのか?次頑張ろうということは、今頑張らない言い訳じゃないのか?
こうして地獄を考え始めた時に纏わり付く「でも、これが私だし今が幸せでしょう」という言葉。助けられているのか、呪われているのかは分からない。


自己肯定感が低い(と言う)人から見た時に、この地獄がどう映るかは分からない。だけど他人の地獄なんてそんなものだ。これも「回避の魔物」なんだろうか。


自己を肯定する場合、他者の肯定作業も同時に行われる。例えばよく描かれる「敵の正義」に代表されるように、世の中のことは全て優劣や善悪ではなく皆それぞれの正義や道なのだと。
ひとつひとつの違いを全て認め合っていく。


だから、人は誰とも群れにはなれず(一分の違いもない人間はいないから)私の人生という孤独な一本の道がただ真っ直ぐにあるだけだ。
私が考える自己肯定感、そして多様性への理解「みんな違って、みんな良い」はなによりも孤独で無関心な世界だ。


先述した「敵の正義」のように、すべての物事は善悪や優劣のどちらかではなく側面であり、両極を同時に持つと考え始めると正直なにもかもに興味が持てなくなる時がある。
どんなに他人が(あなたのためを思って、と人は言う)批判したって、その人がそうしたいなら、そうしたほうが良い。だってその人と私は「違うのだから」。他人の選択や人生を認めないことはできないでしょう。

ここにも、きっと「回避の魔物」が潜んでる。


私は一度そうして全てに興味を失ってから、現に他者を「認める」ことはできても「愛する」ことが難しくなったしこのままでは私の世界の全ての線が好き勝手に伸びて私の道の方向が分からなくなると感じて線引きを始めた。

 

例えば(これは全く得策ではないと思うが)「法律で決まった善悪は遵守する」とか。「血が繋がっている人は大切だ」とか。馬鹿らしいと思うかもしれないけれど、血が繋がってること以外に他人との繋がりを見出せなかった時の無茶苦茶な手探り線引きだ。


全てに対して、私のこれまでの人生の中で感じた曖昧な「良いと思う」「悪いと思う」を貼っていく作業、履き違えないか不安になりつつも他者への小さな「愛情」や「大切に思う」ことを「なぜ大切なのか?」と考えながら色をつける作業を今もまだ繰り返している。圧倒的に無の世界の中で。


私が見える世界では全ての人は「あなただけの」「認められた」交わらない孤独な道の中で生きていて、互いにその道から言葉を掛け合っている。その中で微妙な愛情とか、憎しみとか、小さな感情を向け合って。


だから私は「私だけに認められた私の道」が素晴らしく祝福された道だとは到底思えないし、正直ずっとずっとずっと孤独だ。人生に正解などないのだから、この先もきっとずっとそう。


自己肯定感に優劣がないというのはこういう意味で、孤独な感情をラベリングすることも他者と比較することもできないのだ。私は自己肯定感が強い自分のことを愛さざるを得ないし事実愛しているのだが、この道には誰もいなくて、満足と空虚でいっぱいだ。

 

LOVE MYSELFをすればするほど自分に満足し、利己的になり無関心に苛まれる。どこかで最低だと警鐘を鳴らす自分と、それを認めるという作業。

苦しんでいる人に「ありのままでいい」ということが苦痛だということはわかる。だけどありのままである以外の方法を私は知らない。

 

死にたいと苦しむことはない、死にたくなったときに「自分を受け入れて」そうすればいいのだから。いつか突然全てがなくなっても、受け入れるのだから。


自分が感じる自己肯定感はもしかして「回避の魔物」であるかもしれないという不安と同時に、こんなものは「回避の魔物」に過ぎず、本当の自己肯定感による「より良い人生」がどこかにあることを、適度に願っている。


成功も失敗も、正解も誤ちも
私にはどれもがあって、どれもがないのだから。

 

【和訳】2018年-2019年 防弾少年団 RM受賞スピーチまとめ

2018年の8月~2019年2月までの授賞式でのナムジュンのスピーチをまとめました。いつも穏やかに、真摯に、ある一貫性を持って紡がれる言葉たちに込められた真心。

 

180830 2018 SORIBADA BEST K-MUSIC AWARDS
大賞「 防弾少年団 」 
RM 受賞コメント:

…ARMY、聞こえますか?
ありがとうございます。

まさに、この場所です。僕たちが歌手を引退する前にかならず公演をしてから引退したいと思っていた、その会場なんです。実に3年前にこの会場で僕たちの単独コンサートを叶えてくださり、コチョクドームへ行き、そしてまた少し前には主競技場の主人へと、まさに皆さんがしてくださいました。ああ、本当に特別ではないと思っていた7人の少年たちを、特別にしてくださった皆さんが…まさに今この授賞式を見てくださっている皆さんなのだと知っていてくださったらと思います。このように活動中に大賞をいただくという本当に大きな、特別な経験をすることも全て皆さんのおかげで、だからこそ僕たちの存在が皆さんの一日に、生活にもう少しでも特別であれば嬉しく思っています。

 

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181201 2018 MelOn Music Award
今年のアルバム賞「 LOVE YOURSELF 轉 'Tear' 」 
RM 受賞コメント:

 こんにちは、防弾少年団です。まず最初に当然ですが僕たちを愛してくださるARMYの皆さんに感謝を申し上げます。
先ほど舞台の裏にいたのですが、胸がこう、逸っていました。本当に震えていたんです。

2004年でしょうか。Melonが初めて出来た際に、広告のちらしを、ストリーミングクラブというちらしを僕が下校しながら受け取ったのですが、今そのことが思い出され、14年後に僕たちがここで今年のアルバムという賞をいただき、本当に光栄に思っています。

本当に音楽がインスタント食品のように消費される時代にアルバムを、ある意味ではあえて必要でもないものをこのようにお金をかけて購入してくださる行為それ自体が偉大であり素晴らしい活動なのだと思います。実際、アルバムという…今は大きく意味がなくなっている時代に、Intro、Outro、Skitからひとつひとつ真心を込めて作り出した僕たちの子供たちをこうして愛してくださり、本当に感謝し…本当にありがとうございます。

 

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181214 MAMA 2018
今年のアルバム賞「 LOVE YOURSELF 轉 'Tear' 」 
RM 受賞コメント:

今見ていらっしゃる全世界のARMYのみなさんにまずこの大きな栄光を差し上げます。
そしてこのようにまた「今年のアルバム賞」を光栄にも受賞することとなりましたが、この賞は──今ここにいらっしゃるアーティストのみなさんだけではなく、本当に今この時間にもアルバムを作るために孤軍奮闘されている本当に多くの素晴らしきアーティストの方々がいらっしゃいます。

僕たちが決してその方々よりも優れているだとか、素晴らしい音楽をしているからというのではなく、そういったことが僕たちが今この賞を頂く理由ではないと思っています。
ですから、そういう方々にもこの栄光を差し上げたく思います。

今日、ぜひお話ししたい方がいます。
僕がこのように直接的にお話しするのは初めてかと思いますが…僕たちの代表様であるバン・シヒョクPD様、Hitman Bang。

僕たちが何でもなかった時、練習生だった時、本当に何もなかったのですがそんな僕たちを連れて作業室や練習室、宿舎まで、物と心の両方で支援してくださりながら僕たちの可能性を信じてくださり、また2014年にもやはり僕たちが本当に取るにも足らなかった頃でしたが、このような言葉をくださいました。

「私は、お前たちがデビュー前から既に大賞歌手だと少なくとも思っているし、お前たちはいつの日か近いうちに、最高のグループになるだろう。私はお前たちを信じる。」

このように言ってくださったのですが、僕たちはそのときバンPD様の部屋を出ながら、僕たちだけですごく笑ったんですよ。たくさん。

ああ、PD様は本当に苦労されているようだ。
PD様の周りの人々もたくさん止めたらしい。
ああ、成功していた作曲家のキャリアがここでもう終わるのだと、そう思い止められたのだとそう言っていたのですが。

僕たちが何もなかったとき、僕たちを信じてくださり、愛してくださったバン・シヒョクPD様に今日この栄光を最も多くお返ししたく思います。

PD様を愛し、尊敬し、これからも永遠に共に歩んでいきます。

 

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190106 ゴールデンディスクアワード
音盤大賞「 防弾少年団 」 
RM 受賞コメント:

はい。まずこの瞬間をきっと見守ってくださっている全てのARMYの皆さんへとこの栄光を差し上げます。
去年一年、一生懸命に駆け抜けたことが実を結ぶことになりました。

僕たちが防弾少年団というなまえをおそらく初めて聞いた時、沢山の人々が衝撃を受け、恐怖を感じたのではないかと思います(笑)
だけど、名前や修飾語というものは考え方次第のようです。
2010年に決まった名前でしたが、デビュー直前まで隠していました。
お前達のチーム名なに?と聞かれても、まだ決まっていません‥と言っていたのですが…
今は、防弾少年団あるいはバンタン…あるいはBTSという名前がとても自然じゃないですか?でしょう?
僕らによく似合うでしょう!

だから、僕たちを苦しめたたくさんの修飾語たちも、僕たちがその修飾語にふさわしくあるようにもっと一生懸命に努力し、格好良く在れば、いつかは勿体なく感じるような修飾語たちも、防弾少年団というチームの名前のようにきっとふさわしく、自然に馴染んでいくのだと思っています。そう信じてくださるでしょう。
僕たちが新人賞を初めてのときに頂き、次は本賞を取れたら、というのが願いでしたが、今は僕たちが大賞をいただくのに4年が経ち、今この場に立っていますが、この場所は僕たちが少しの間借りている場所なのだと思い、傲慢にならず、誠実に努力していきます。愛しています。

 

190115 ソウル歌謡大賞(ソガデ)
大賞「 防弾少年団 」 
RM 受賞コメント:

 歌手の一生に、ただ一度すら戴くことが難しい「大賞」をこのように二度も僕たちに贈ってくださり本当に全世界の全てのARMYの皆さんに感謝を申し上げます。

信じてくださるかはわかりませんが、僕たち防弾少年団も皆さんのファンなのです。どういうことかといえば。皆さんがさまざまな方法で僕たちに聞かせてくださるそのストーリーたち、そのエナジー、その声が、僕たちの制作作業にきっかけを与えてくれて、僕たちのステージにエナジーを吹き入れてくれるんです。このステージと、この音楽が僕たちにとっては皆さんが大きなインスピレーションと影響を与えてくれて誕生する──皆さんがこのアルバムとステージの一部分であるということをぜひ知っていてくださったら嬉しく思います。ですから、僕たちは皆さんのファンなのです。

実際、年末年始は心がそわそわとしますよね。改めて「俺はきちんと生きられているか?」「うまくやれているか?」と振り返ってみなければいけないようで、すぐに忘れてしまう新年の抱負のようなものももう一度立ててみたり。僕もさまざまな受賞式を経ながら、多くのことを考えましたが、結局のところこう帰結したのです。「ただ僕たちがやることを、一生懸命にしよう。やってきたことを一生懸命によく頑張ろう。」それで僕たちのデビュー時の動画を探して見ました。

「なぜあの時、これほどに一生懸命だったんだろう?」
「なぜ俺たちはこれ(音楽)を始めたのだろう?」
「なぜ7人がBigHitとこれをやるんだと集まって、こうして防弾少年団というチームを共に成し遂げたんだろう」

もう一度振り返ってみましたが、結局のところは
ただ「音楽」そして「ステージ」そして「皆さん」
それが全て、であったのです。

ですから、僕らがお見せしたステージ、音楽。そしてこれからお見せするステージと音楽が僕らが皆さんのファンとして贈るファンレターなのだと知っていて下さい。そのファンレターの声を読んでください。僕ら─そして皆さんは、互いのファンであり、互いの“IDOL”なのです。

一生懸命に頑張ります。愛しています。

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190226 イーデイリー文化大賞 大賞「 防弾少年団 」 
RM 受賞コメント:

僕たちが三年前にコンサート部門を受賞したいと言いましたが、このように大賞にまで導いてくださった僕たちのARMYの皆さんに当然ですがまず感謝を申し上げます。
実は本当に受賞できるとは思っておらず、万が一にも受賞したらどんな話をするべきかと少し考えていたのですが──文化大賞という授賞式は、僕たちにとっても非常に新鮮であり新しく感じられます。
文化界に携わる多くの方々がこの場にいらっしゃっていますが、この言葉がまず頭に浮かびます。キム・グ先生が仰った「ただ限りなく持っていたいのは、高い文化の力」というお言葉が最も記憶に残っているのです。

文化というものは実際、どんな物理的な力よりもあらゆる境界を打ち砕く「最も強い無形の力」だと思います。

僕が従事している音楽だけに限らず、国楽、ミュージカル、ドラマ、演劇、舞踊等たくさんの文化ジャンルのファンであり或いは消費者として。そしてこの文化たちが僕のそばで息をし、僕がこの文化を享有しながら僕自身が人間として、より人間らしくなっていくと感じます。僕が作る音楽にも多くのインスピレーションや影響を与えてくれる、とても強力な、人を人に、人らしく導いてくれる力なのだと感じています。

この栄誉の場には僕たちだけが立っていますが、今この隣の空席には僕たちアーティストだけではなく、アーティストを助けてくださる多くのスタッフの方々、そして何よりもこの文化を愛し消費して下さる全てのファンの方々と消費者の方々を覚えていて下さったらと思います。
このような沢山の素晴らしき文化界の従事者の方々の真ん中で僕たちがこの賞をいただく資格があるかも分かりませんが、より多く世界中で韓国の文化の力を伝え、努力しろという意味で下さった賞なのだと思い、より謙遜し謙虚に努力する防弾少年団になります。ありがとうございました。

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190226 第16回韓国大衆音楽賞
今年の音楽人「 防弾少年団 」 
RM 受賞コメント:

こんにちは、防弾少年団です。まず遅れて来たことに本当に申し訳ございません。僕たちがいくつかの分野の候補に、光栄にも挙げられているとのことで直前の授賞式を終え、本当に息を切らせてすぐに走ってまいりました。それでもこのように、素敵な賞をくださり本当にありがとうございます。
細かな感謝の言葉を申し上げる前に、先ほどヤン・ヒウン先生から功労賞を受賞なさったとうかがいました。僕が生きてきた期間よりも遙かに長い期間である45年間もひとつの歌を歌われているという、そのような素晴らしい先輩方と先生方のおかげで、僕たちがこの場所にいるように思い本当に感謝の言葉を申し上げたく思います。
…本当に震えています。
実は、この賞が持つ風格と権威に比べ、僕たちが昨年は不参加であって写真一枚を替わりとしたことについて、あまりにも胸の中の未練が大きかったのですが、このように直接お会いでき、素晴らしい方々ともお会いし、直接感謝の言葉を述べることができてとても光栄に思います。
韓国の大衆音楽をより遠く、多くの場所へと知らせるためにくださったのだと思い、謙遜し、より一生懸命に音楽制作をし、公演をおこなっていきます。

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180924 防弾少年団RM 国連UNICEFスピーチ和訳

 

僕の名前はキム・ナムジュン、RMとしても知られているBTSのリーダーです。今日の若い世代にとって意義のある場にご招待いただき、非常に光栄です。

 
昨年11月、BTSは「本当の愛は、自分を愛することから始まる」を信念にUNICEFと共に”Love Myself”キャンペーンを始めました。僕たちはUNICEFの #Endviolence (暴力撲滅) プログラムを通じて全世界の子供たちや若者を暴力から守るべく共に活動を続けています。

 
僕たちのファンが、その行動や熱意でこのキャンペーンの大部分となってくれています。僕たちには本当に、世界中に最高のファンがいます。


僕自身の話をしましょう。


僕は韓国、ソウルから近い都市イルサンで産まれました。池や丘、毎年開かれるフラワーフェスティバルなど、本当に美しい街です。僕はそこで幸せな幼少期を過ごした、普通の男の子でした。
夜の空をうっとりと見上げては、少年の夢を夢見ました。僕が世界を救うスーパーヒーローだったなら、と想像していました。

 
僕たちの初期のアルバムのintroには「9歳か10歳で 僕の心は止まった」という一文があります。

 
振り返ってみれば僕はその時から、他の人々が自分をどう思っているかが不安になり始め、他人の目を通して自分自身を見るようになりました。僕は夜の星を見上げることをやめました。空想もやめました。誰かが作った型の中に自分を押し込もうとしました。間もなく、僕は自分の声を閉じ込めて、他人の声を聞くようになりました。誰も僕の名前を呼ばなかったし、僕もそうしませんでした。僕の心は止まり、目は閉じられました。こうして、僕、僕たちはみな自分の名前を失いました。幽霊になったようでした。


僕にはひとつの聖域があり、それが音楽でした。僕の中の小さな声が「起きろ、お前自身に耳を傾けるんだ」と言いました。でも音楽が僕の名前を呼ぶのを聞くまで、長い時間がかかったと思います。

 
BTSとして活動を始める決断をしてからも、多くのハードルがありました。多くの人は僕たちに望みがないと思いました。辞めたい時もありました。

諦めなかったことが本当にラッキーだったのだと思います。

 
僕は、僕そして僕たちが躓きや落下を繰り返していくと確信しています。僕たちは大きなスタジアムで公演をし、数百万枚のアルバムを売り上げるアーティストになりました。

だけど僕はまだ普通の、24歳の男なんです。  

僕が何かを成し遂げたとするなら、そばにいてくれるBTSのメンバーや、僕たちのARMYの愛と応援があったからこそです。  

 
きっと僕は昨日過ちを犯したでしょう。だけど昨日の僕も、変わらずに僕なんです。僕の過ちをすべて抱えた今日の僕です。明日、ほんの少し賢くなるかもしれない僕もまた、僕です。この欠点や過ちが僕自身であり、そして僕の人生の星座に輝くひときわ眩しい星を作り上げています。僕は過去の自分、現在の自分、そしてなりたい自分自身を愛せるようになってきました。

 
最後に伝えたいことがあります。


"Love yourself”のアルバムをリリースし、”Love Myself”キャンペーンを始めてから僕たちは世界中のファンから、僕たちのメッセージがいかに彼らの苦難を乗り越えるのを助け、自分自身を愛し始めたかのストーリーを聞くようになりました。このストーリーが、僕たちの責任を常に思い出させてくれます。

 
さあ、皆でもう一つステップを上がりましょう。僕たちは自分の愛し方を学びました。だから今、僕は君に「自分自身を話すこと」を強く勧めたいと思います。

 
僕はみんなに聞きたいです。君の名前は?何が君を楽しませ、心を弾ませてくれるんだろう?


君の物語を教えてほしい。君の声が聞きたい。そして君の信念を。君が誰であっても、どこから来ても。肌の色やどんな性別を認識していても─、君自身を話してほしい。 
君自身を話すことで、君の名前を探して君の声を見つけてほしい。


僕はキム・ナムジュン、そしてBTSのRM。

韓国の小さな街からやってきたヒップホップアイドル、そしてアーティストです。
多くの人々と同じように、僕も人生でたくさんの間違いをおかしました。僕はたくさんの欠点があるし、たくさんの恐れを抱えています。だけど出来るだけ僕自身を抱きしめて、ほんの少しずつ自分を愛せるようになりました。

 
君の名前は?

“Speak Yourself”

(君自身を、話してください。)

 


ありがとうございました。

 

 Remarks by Kim Nam Jun at the launch of Generation Unlimited, New York 24 September 2018

 

 

Bird

今回の秋元康氏とのコラボレーション中止について、思うことは思ったときに書いておこうと思ったのでブログを開いてみました。騒動のまとめではなく、私個人が感じた話です。ながいです。

そもそも私は防弾少年団のことをすごく近いけど別の世界の読みもののように思っているので、決定を覆そうとか、納得いかないとか、私の意見でどうこうしてほしい!という強い要求はありません。彼らの世界でそうなったのなら、そうなんだろう。起きた出来事に対しての公式の決断を支持し、その上で自分が何を感じるか、そこが重要なのだと思っています。

この感じ方はもしかしたら特殊であるかもしれないし、彼らをもっと近い距離で支えているファンからすると当事者意識のないファンだと思われるのかもしれません。ただ私は、あくまでそういう読みものとして彼らと接するのが丁度よくて好きなのです。


そんな中で今回の事件を見て、実際に一番に感じたのは恐怖でした。
公式ペンカフェではフィードバックの要求が1分間に80件以上書き込まれていました。TwitterのTLも公式のリプライ欄にも同じ言葉と画像が貼り付けられ、韓国のトレンドにも関連ワードがあがっていました。

私はとにかく怖かったんです。
つい前の瞬間までは愛に溢れていた応援の場が、一気にフィードバック要求で埋め尽くされた瞬間。事件やスキャンダルで一夜にしてファンを失うアイドルもいますよね。
そんな「終わり」が来たのかと、本気で思いました。一瞬で海が砂漠になったのかと。

韓国語や英語が少しは読める分、フィードバック要求に並ぶ過激なワードにも恐怖を感じました。秋元氏が右翼的な立場であるという話から「戦犯国家」「戦争美化」「日本に受けた被害」などのワードまで発展し、旧国旗の切り裂きgifや戦時中の写真までカフェに貼られて私は心底落ち込みました。そこを過激に掘り下げることが重要なのか?と。しかし各国の教育の違いと文化・国民性の違いの前に、べき論はあまり意味をなしませんし攻撃的な人もいればそうでない人もいるのは当然です。

ただ私が、日本人としてそのフィードバック要求文を載せ私もこう思う!と言うことは難しかったです。翻訳してほしいというリプライも頂きましたが、とても私にはできませんでした。歴史の否定や反対意見ではなく、シンプルに日本人の立場としては気軽には意見できない問題だったのです。(女性蔑視問題だけであれば、ほぼ同意でしたが。)事務所の反応がない分、ファンの言動や行動が過激化していたのも事実です。故に黙って時間が過ぎるのを待ちました。

bighitからの公示があり「ファンたちの憂慮は十分に認知している」「少し待っていて欲しい」という話があって私は安堵しました。本国アミの中には「そんな言葉では騙されない、フィードバック要求の勢いがなくなる!」と火力をあげようとしていた人もいましたが、「対話」のために落ち着いて少し待ってみようとするファンもいました。

そして結果的に、秋元康氏が詞を提供した日本オリジナル曲「Bird」は収録中止となりました。やはりこの決断に対してどうこうしようという気持ちはありません。彼らが、事務所が選んだ最善の道がそれならば私は読み手としてそれを受け入れるのです。

その上で、どう考えることができるのか。


私は社会人として、同じ…というのは甚だおこがましいですがバンPDと同じような立場にあります。プロジェクトチームを抱えながら最近、一番重要に思うのは「最終的にどうなりたいか」という部分です。チームのメンバーは性別、国籍、職種もバラバラでそもそも生きてきた環境も立場も違うので、基本は意見が合致しません。
そこでそれぞれが自分だけの常識や知識をぶつけ合って説得しようとする行為はほぼ平行線を辿り、失敗します。

意見を聞きながら、目先の不満や過激な言葉に惑わされず最終的にどうなりたいかのビジョンをみんなで浮かべること。そのビジョンに至るまでに必要なものを残し、不要な部分を省く作業が必要だと思っています。

私はツイートでも言った通り、韓国人として韓国の社会問題に取り組み、韓国語で歌って世界で評価されている防弾少年団が好きです。韓国人の彼らが等身大で語る言葉を通じて韓国の一部を知り、文化を知る。それが面白くて好きなのです。

つまり私が防弾少年団に対して、最終的にどうなってほしいかと考えるならやはり韓国のアーティストとして、母国での人気を確立したまま世界で、日本で活躍して欲しい。


そういう意味で今回の問題は、あまりに母国のファンからの反発が大きかったと思います。それを一部と見るか大多数と見るかは個人の感覚ですが、私の肌感ではこれまでにない程の騒動だったと思います。普段ファンの揉め事にはあまり関与しない大人ARMYたちも今回は声をあげているのをみました。

過激な言葉や画像に心惑わされながらも感じたのは、とにかく日本が好きとか嫌いとか、曲を聞きたいとか聞きたくないとかではなく、ただようやく得た防弾少年団の韓国国内での評価を失うわけにはいかなかったのだと。彼らがまた社会からの冷たい視線に晒されることがないようにという部分を強く感じました。ここに来るまで5年かかったと泣いていたユンギを思い出したし、どん底から這い上がってきたストーリー、女性蔑視問題で歌詞を変更したり謝罪したりしたことも思い出しました。
その点で私は、本国アミたちの焦りと不安が分かる気がしたのです。冷笑と無視の砂漠で必死に一歩ずつ歩いてきた物語を知っているからこそ。多少過保護にも思えますが私にとっては十分に理解できる感情でした。

今回コラボレーションは実現しなかったので、結果がどうなっていたかはわかりません。心配するようなことはなかったのかもしれません。ただ、もし。もし本国ペンたちの恐れていた通りに彼らがまた女性蔑視や傾いた思想のイメージを少しでも植えつけられたら。私は現実的な問題として、コカコーラやPUMA、LG、国民銀行など彼らが信頼され、世界的および韓国社会的に問題のないグループだと今認められているからこそ任せられた広告モデルの仕事は無くなっていたかもしれないと思います。
それぐらいの影響力が、予測されたことだったのではないかと。

世界は今確実に、変わりつつあります。Me too運動もそうですが、これまでは社会の構造的に隠れていた差別やマイノリティの苦しみに世界が気づき始めています。
そして彼らは人一倍、その問題にも敏感に対応してきたグループです。アメリカでのN-wordの件や、同性愛についての言及、韓国のコンサートでも女性蔑視問題からBitchをセッキに変えて歌ったりと。マイノリティや被差別者への配慮、そして母国を背負う者として母国への配慮を常に忘れません。

私個人的には、そこまでやる必要があるのか?と思ったこともありますが、彼らは対応することを選んだ。それが全てだと思いますし、私はそんな彼らが好きです。

今回の件で彼らが秋元氏の右翼的立場・女性蔑視の歌詞を書いたことがある人間だと認識していたかどうかは分かりません。しかしファン達の反発によって彼らが問題を認識した上で収録曲から外したのであれば、それが彼らのひとつの結論だと思います。
(やや過激なフェミの一部からホルモン戦争の「女は最高の贈り物」という歌詞も、女性を物扱いしていると叩かれてるのを何度か見ましたが彼らはそこは対応していませんし、言われたからとりあえず直す、ということはしていないと思います。)


収録してくれた日本語曲を聞きたかった気持ちは、もちろん無いわけではありません。レコーディングの時間も練習もあったでしょう。それにやっぱり右翼的立場の人間と組むことの恐れを「いかに日本から被害を受けたか」の方向で掘り下げるのもどうかと思います。全ての人間は違う環境で違う考えで生きてきたことを忘れ、異なる意見の相手を罵る行為も暴力的な言葉に恐怖を感じることもつらかった。本質とは全く別のところで「韓国が大事なのか」「反日なのか」という議論になっていることも怖かったです。(日本が嫌いだから歌わない、なんて言ったことはないしこれまでも日本オリジナル曲は問題なくリリースされてますよね。)そもそも親日的なだけで国内での評価が下がるという社会の仕組みがどうなんだ、という話もあると思います。


こんな風に同意できる部分、できない部分、理解できる部分とできない部分はもちろんありながらも私はやはり静かにこの問題について考えた時、社会的な問題に取り組む韓国人アイドルとして世界で活躍するBTSをもう少し見ていたいという立場と、ファンとして過保護にその花道を守りたいという立場、そして会社が・彼らが感じて出した結論であるならそれを受け止めるのみという気持ちでBirdが収録されないことを理解し、変わらずにこの先を見守っていきたいと思います。

問題の捉え方は人それぞれですが、私はこの件はどちらかが「勝った」「負けた」という勝負ではなく、防弾少年団のこれからと今を考えたことで起こった事件であり、出されたひとつの結論だと思っています。攻撃的な言葉に胸は痛みますがそれだけに惑わされず、ナムジュンがいつも言うように、ひとつの物事の暗い部分にだけ捉われず、全ての物事の両面を見て穏やかに考える人になりたいと思います。それが私が彼らから学んだことであり、防弾少年団を好きな理由なのです。

【二番目のお話】「フラワースメラルド」をご紹介します

2018.7.12 

 

多くの人々は「花」を特別な日のためのアイテムだと思っていらっしゃいます。私もやはりフローリスト課程を始める前まではそう思っていました。しかし私がアメリカで授業を受けていたある先生はこのように仰いました。

“特別な日に花が必要なのではなく、花があるということだけで特別な日になる”のだと。

スメラルドを国内に持ち込む決意をするとき、その一言が私にとって大きな支えとなりました。

“多く知られた花ではないとしても、スメラルドを手にするということだけで幸せを感じてくださったら良いな…”

そのような願いをもち、来る8月末に“フラワースメラルド Flower Smeraldo”をオープンすることになったのです。

 

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▲みなさまにスメラルドをお届けする専用車両です

 

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▲8月末にオープンすることを目標に内装工事真っ最中のフラワースメラルドのようす

 

“フラワースメラルド Flower Smeraldo”の内部インテリアはスメラルドそのものの美しさを浮きたたせようと全体的な雰囲気は最小限に、色合いは白を選びました。そして窓際にフレッシュなスメラルドを、その日の雰囲気に合わせてアレンジしておけば、通りすがる人々の日々の中に、ほんの少しの幸せをお贈りできるのではないかと期待しています。(私、素朴でしょう…?)

 

まだショップはオープン準備中ですが、必要とされる場合一部地域に限り配達サービスをすることができます。ただし、数量は限定的であるという点ご了承をお願いします。スメラルドは多彩な雰囲気を演出することができるため、実際に受け取りになる方とそのケースによってどんな雰囲気をお望みになるか仰っていただくことが最も重要となります。スメラルドがすぐに需給されないこともあるため、平均1週間程所要し、もし一緒にアレンジする花が輸入や探さなければいけない場合には最低2週間前にご予約をお願いいたします。(もちろん、一番似合う素材とグリーン等は私が出来る限り早く見つけてご予定に合わせられるようにいたします。)

 

連日、蒸し暑い日々が続いていますね。スメラルドは気温の年較差が激しいイタリア北部の農場で栽培して韓国に運びこむ花でありますので、花が枯れることを防ぐためにデザインを崩さない範囲で水の処理をさせていただきます。そうすることで、スメラルドの美しさと瑞々しさを長く維持できるようにもなります。

 

その他、詳細なお花の相談は下記E-mailアドレスからご参照ください。ありがとうございます!

flowersmeraldo@gmail.com

 

“スメラルド”との運命的な出会い、はじまりのお話

[一番目のお話]“スメラルド”との運命的な出会い、はじまりのお話

こんにちは。フローリスト"Testesso"です。

私がこのブログを始めることになったきっかけは「スメラルド」という花をご紹介しようと思ったことです。
はじめに申し上げると、私は来る8月末にスメラルドを専門的に扱うフラワーショップのオープンを準備しています。考えようによってはただ自分の店の宣伝ブログだと思われるかもしれませんが、私はスメラルドと出会ったことが単純なビジネスだけではないと思っているのです。

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スメラルドと私の初めての縁は5年前に遡ります。その時私はアメリカ中北部にあるノースダコタ州に留学をしていたのですが、米国フローリスト学会が開催する<Annual Flower Conference>に参加するため、バージニア州まで旅行を敢行しました。ノースダコタからバージニアまでは飛行時間だけでも5時間を超える距離で、私の宿舎から学会までは実に7時間以上もかかりました。

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そうしてその長い道のりを進み、会場に入ったときに私が見たのは'プレイングカードの起源'というプラカードでした。<Annual Flower Conference>はすでに前の週に終わっていて、その時は米国プレイングカード学会のイベントがおこなわれていたのです。私が日記に日付を間違って書いていたということです。その時はあまりにも呆れ困惑しましたが、今振り返ってみるとこの全てが縁であったのだと思えます。その時私はとても疲れてすぐに他の場所へと移動する余力もなく、ただ椅子に座り講演を聞いたのです。幸いにも講演は興味深く、私の職業がフローリストということもあり花に関連した話がされた題目が最も興味深く、お気づきかとは思いますがその花というのがまさに…“スメラルド”なのです。

 

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写真を見るとお分かりかと思いますが、スメラルドは暖かい雰囲気を持っています。ロマンティックな花びらの形と神秘的で幽玄な色合い、何か悲しいエピソードがあるように感じられませんか?

そうなのです。スメラルドは胸の痛む、切ないお話の宿った花です。このようなお話はスメラルドの花言葉からも分かりますが“non potevo dire la verita"イタリア語で「伝えられなかった本当の気持ち」という意味です。花言葉を見るとそのお話が愛、それも悲しい愛だという推測ができますよね?

これから、このブログを通じてスメラルド―この花とプレイングカードにまつわるお話をひとつひとつ開いていこうと思います。

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